管理オーナー様インタビュー 髙橋様
20年以上お付き合いいただいているオーナー様の髙橋様。スキューバダイビングやスキー、テニス、お料理など幅広い趣味をお持ちだそうです。そんな髙橋様とやり取りを担当している山口と対談、さらに、いくつかの質問にお答えいただきました。
父は私に自由に仕事をさせてくれましたね。
まだ20代半ばでしたが、私のやり方を尊重してくれた。
山口
髙橋様は大森で建設会社を運営されています。そして、多くの不動産を所有されており、ミノラスは会社の経営を含め、所有されている不動産をより良い形で未来へ承継されるためのお手伝いをさせていただいています。お付き合いも20年以上になりました。
およそ90年に及ぶ建設会社は髙橋様の代で三代目になられ、老舗企業として地域に密着して進化、成長を続けています。現在、一緒にお仕事をされている息子さんの代では100年を超える長寿企業となられるでしょう。
髙橋様
先々代の私の祖父が創業者。大工の吉次郎と呼ばれて大工さんをしていました。お客様に親しまれていくうちに大工のきっちゃん、だいきっちゃん…という流れから屋号が「大吉」となったようです。大工のきっちゃんの仕事を「株式会社大吉」にしたのは私の父です。父の時代はちょうどバブル期に入った頃でしたので忙しかったですね。
当時、私を含め三人の監督が木造、鉄筋コンクリートとそれぞれが担当して仕事をしていました。父は私に自由に仕事をさせてくれましたね。まだ20代半ばでしたが、私のやり方を尊重してくれた。もともと、私は大学の研究室でコンクリートについて学んでいました。梅屋敷の開館を建築する仕事が入ったことがきっかけで、私は父のもとで仕事をするようになりました。このあたりは父の地場でしたので、その後も、多くの物件を手がけました。弊社があるこの界隈でも多くのお客様の建設工事をさせていただきました。
承継して守っていくことの難しさや大変なことも
Q.不動産活用を始めたきっかけはなんですか?
髙橋様
今思うと父が亡くなってからの約5年はきつかった。遺産相続もありましたし、とにかく、「大吉」発祥のこの地を私は守りたかった。それが使命だと思っていました。事業についても世間様の目も記事しく感じましたね。その頃、父の後を継いだ私を屋号で読んで下さるお客様はいなかった。名前や、坊ちゃん、といった呼び方ですね。
時には歯を食いしばって踏ん張っていたところ、5年ほどが経過した頃お客様から「大吉さん」と屋号で呼んでいただけるようになったのです。これは嬉しかった。私も父と同じ「大吉」になったんだ、そのように世間様が認めてくださった、という想いがこみ上げてきました。代々事業を継承していると、上手くいったら親のおかげ、ダメになったら本人のせいと思われがちなもの。継承して守っていくということの難しさや大変なことも実はたくさんあります。
そんな時にミノラスさんに相談することもありました。まずはしっかり会社を経営し、私の場合は不動産を所有することは第二の事業でした。マンションや住居は必ず修繕やリフォームが発生します。そこは私たちの得意分野。ですから利益にとらわれず、最適な住環境を提供することが出来るのです。常に入居される方も喜んでもらうことを、シンプルに目指すことができました。
しかし不動産業は私の分野ではありません。ですからミノラスさんにお金、法律、税金についてはいろいろな情報やアドバイスをもらいましたね。
願いをカタチに・・・
建設業を営みながら、ミノラスさんのおかげもあり、多数の不動産を所有することになりました。税金や将来の相続税などについてはかなり勉強しましたね。もちろん、大いに悩み、考え抜きました。今後どうしていくべきかと・・・。
私の願いはとにかく、将来三人の子どもたちが仲良く幸せであってほしいということです。そこで、事業を継ぐ長男と二人の娘たちに、会社を分社化してそれぞれに生前贈与というかたちで遺してやることを決めました。自分自身がコントロールできるうちに方針を決めることができて安堵しています。子どもたちがどう思ってくれるかわかりませんが、それぞれが自分の責任で何かの役に立ててもらえたら嬉しいと思っています。
ミノラスはオーナーのことをしっかり考えてオーナーのために働いてくれることがこれまで長くお付き合いしている理由です。
時代のトレンドを含めて、未来を見据えたご提案をしてくれるので安心しています。
賃貸物件の一括借り上げシステムを利用させてもらったことは非常に心強く事業に専念することができ、ありがたいことです。今後も大いに期待しています。