管理オーナー様インタビュー N.H.様
300年以上続く、海苔の養殖を営んできたN.H.様ご一家。大森周辺は昭和30年代まで日本を代表する海苔の産地で、海苔づくりを生業にしている家が多くありました。高度経済時代に入り、湾岸の埋め立てや高速道路の建設などでノリの養殖はやがて幕を閉じていきました。そこで、海岸から運河や川に沿って建てられていた海苔干し場を有効活用するために住居用の家屋やアパートが建設されたことで大森周辺は大きく進化していきました。東北などの地方から働きに来た人たちがこの場で働き、結婚して家庭を持ち、生活を営む場へと変わっていったのです。
今回は、大森で生まれ育ったN.H.様にお話を伺いました。
―N.H.様とミノラス不動産との出会いとはどんなきっかけだったのでしょうか。
ミノラススタッフ(以下ミノラス) ミノラスは所有されている物件を担当させて頂いております。三年前にはご自宅の建設もお手伝いさせていただきました。
N.H.様 父の代からのおつきあいですね。私はずっと会社に勤めていたので本当に最近、父がこれまでやってきた不動産管理を全面的に手伝うようになりました。古い実家の建て替えとともにマンション建設を手掛けた時は父をはじめ、家族とともにアイデアを出しながら進めていきました。父も高齢ですが、これまで自分が守ってきたという自負もありますので、父が安心して納得し、家族が喜ぶカタチを作るには苦労もありました。しかしミノラスさんのアドバイスや知識をもらいながら、家族みんなで自宅やマンションを建てることができたのでこれには感謝しています。
ミノラス もともとは、N家は海苔の養殖をされていたんですよね。
N.H.様 はい、300年前からといわれていますが、大正・昭和時代にこの辺りでは盛んに海苔の養殖が行われていました。家も父の代まで何代かわかりませんが(笑)海苔をつくっていました。このあたりには大きな海苔の会社がいくつもあってそこへ納めていたのです。江戸前鮨をはじめあらゆる日本食に使われる質の高い海苔をつくっていましたね。父の代がちょうど、大きく時代が変わる時でした。海苔の養殖は衰退し、私の家も海苔の作業に使っていた土地を住居にしたり、借地にしたりして多くの方に住んでいただくようになったのです。あれからもう70年以上になるので古いものから建替えたり、土地活用したりしてきました。こうして、古い地図を見ていると海岸のあたりは埋め立てが進み、大きく変化していますね。子供の頃よく遊んだりした、思い出深い場所がこの地図にはあります。懐かしいものです。
―不動産管理についてはいかがでしょうか。
N.H.様 これから知識を増やしていきたいと思っています。これまでは本当に、父の手伝い程度でしたので。私の場合は、とにかく親が守ってきたものをしっかり子供たちに受け継いでいきたいという気持ちが一番ですね。納税や不動産管理は法律や税の知識がないと難しいものです。やはり、子供たちに苦労はさせたくないので、一番良い方法をミノラスさんや専門家の方にお世話になりながらきちんとした形にしたいです。銀行との交渉なども多くの知識が必要ですので、大変助かっています。
―ミノラス不動産の印象をお聞かせください
社長をはじめ、社員は皆、親身になってくれますね。メイショーエステートの頃からのお付き合いですのでずいぶん長くなりますが、困ったことはありませんでしたね。入居者の対応も、とても丁寧にしてくれるので安心しています。
Voice
N.H.様 大森で生まれ育ちました。結婚するまでは、バイクや車、スキー、ゴルフ、ジャズといろいろ楽しみましたね。結婚し、三人の子供に恵まれてからは楽しい時間でした。私の父、母、妻、子供三人で暮らした、たくさんの思い出があります。今は年老いた父と子供たちだけになりましたが、子供たちが一生懸命父と私のために面倒を見てくれているので感謝しています。母も妻も、もっと長生きしてほしかったですね。本当に二人とも、やさしい人でした。子供たちはそんな優しいところもしっかり受け継いでくれています。これからは親が残してくれたものを大切に子供たちに繋げていけるよう私も頑張っていきます。
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