管理オーナー様インタビュー Y.H.様
蒲田周辺で機械部品の製造工場を経営されていたY.H.様。この界隈は昔から日本のモノづくりの原点となる技術を持つ多くの工場があり、お父様の代から様々な業種の取引先の依頼を受けて鉄の加工部品を生産されてきました。時代のニーズの変化とともに工場の仕事にも変化があり、現在は工場経営から、不動産経営に事業をシフトされています。元来お持ちの運の強さと決断力で、生き抜いてこられたY.H.様の半生についてお聞きしました。
ミノラススタッフ(以下ミノラス) 所有されている不動産の維持管理のお手伝いをさせていただき、ありがとうございます。マンションが新築される時には、ミノラスもできる限りのお手伝いをさせていただきました。
Y.H.様 マンションをつくる時、8社に声をかけて設計してもらいました。ファミリータイプで広さもあるので快適に永く暮らせる部屋をつくりたいと思っていました。石川さんからご紹介いただいたハウスメーカーさんの設計は、私の希望に沿ったもので気に入りました。間取りがとてもよかったのです。
実際に工事に入ってからは経営者視点で細かくチェックしながらあれこれ考えましたね。住まわれる方が「ああ、今日も仕事を終えて無事に帰ってきてよかった」と思えるような外観やデザイン、インテリア、構造、耐震などに気を配りました。図面で見ただけではわからないこともありますからね。
ミノラス お住まいになる方を一番に考えられるお姿は印象に残っております。特に遮音や耐震については費用もかさむので、そういったところに注力されることは素晴らしいと感じました。
Y.H.様 そうでしたね。構造の部分など、表面的には見えないところですがしっかり投資することが良い結果に結びつきます。生活音が響かないように防音設備を入れたり、地震に備えた耐震性にはこだわりましたね。階段の幅やドアの開閉、デザインや照明なども良いものにすることで、気持ちよく住んでいただくことを最優先しました。
ミノラス 空室になることの無い人気物件であることは確かです。初期投資をしっかりすることが、安定的な経営に繋がっています。これは本当に大事なことだと学ばせていただきました。Y.H.様が手掛けてこられた工場のお仕事についても教えてください。
Y.H.様 父の代から町工場を経営していしていました。鉄の加工がメインで電車の部品や、カメラのレンズの部品などを生産していました。20代の終わりに父から継ぐように言われ、これまで勤めていた会社を退職して父の工場に入りました。父には同業の仲間がたくさんいて、いろいろな経営者の方を見てきました。バブルで日本が湧いた時代から、終息し現在に至るまでに、それは多くの出来事がありました。
ミノラス 当時のY.H.様は常に高い緊張感を持つ、厳しい社長という印象でした。奥様が温和な方なので「ああ、奥様がいらして助かった~」と思うこともありました(笑)。
Y.H.様 その頃は大手のゲームセンターにあるクレーンゲームの様々な部品を受注したころで、とても忙しかった。当時、大人気の機種だったので発注数がいきなり3倍以上に急増し、社員総出で仕事をしていました。納期や生産量も厳しいのですが、やるしかない。これまで受注していた部品もありましたので、私は日々細かい計画を立て、ミスが起きないよう精一杯やっていました。もちろん品質管理を徹底することが最大のミッションですので確かに緊張が途切れることはなかったですね。
ミノラス 大変なご苦労もあったと思います。そのころから不動産経営もされていたんですよね。
Y.H.様 はい。私が生まれ育った家を賃貸にしたり新たに購入した土地もありました。いろんなチャンスにも恵まれたことと、時代の流れで工場の仕事の潮時もあり、良いタイミングで現在の不動産事業に移行することができました。中学の同級生が土地を見つけてくれたり、ミノラスさんから良い大工さんをご紹介いただいたりしたおかげで、良い決断ができました。
大森周辺は人気の高い街なのでまだまだ伸びていくでしょう。賃貸物件によって人々の暮らしを支えるという役割を土地をお持ちの方にはお勧めしますね。
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